日本の「学校英語」に欠けていた視点とは
実用英語に欠かせないヒアリング能力
日本の学校教育では、中学と高校であわせて6年間英語を学び、大学に進学する人はさらに4年間英語を学ぶことになります。
しかしそれだけの英語教育の機会があっても、英語の運用能力が十分ではない人がたくさん存在します。
原因としては、学校英語では正しい発音を身につける機会が少ないことです。
ほとんどの教師は日本人ですし、発音が上手ではありません。
その結果、日本人はやけに難解な概念を表わす単語まで知っているわりには、基礎的な単語が聴き取れず、その結果として英会話が苦手だという問題が起きてしまうのです。
それにしても10年の英語教育の結果、英語が実用にならないというのは悲劇でもあります。
この問題を解決するには、英語学習においては正しい発音を身につけ、その結果ヒアリングもできるという方向で見直す必要があります。
ネイティブの教師によるカリキュラムを導入するのも良いですし、ニュースを聞いて理解するというトレーニングも有効でしょう。
学校英語でこうした過程を経れば、実践的な英語力を身につけることができるはずです。
論理的な思考を育む必要性
英語教育の見直しに際しては、発信力が不足していることが問題だ、とする議論があります。
読解や和訳は得意でも、現在の学校英語では自分の言葉で意見を述べろと言われると、からきしダメではないか、というものです。
しかしそれ以前に決定的に不足しているのは、日本の基礎教育には論理学という科目がない点です。
諸外国ではこうした基礎教育がきちんとなされているので、発展的なディベート(討論)なども学科として設けられています。
つまり、ロジカルシンキングの苦手な日本人が自分の意見を論理的に述べることは、英語力以前に限界があるのです。
さらにそのことを学校英語や日本式英語教育の不備だと指摘したところで、不毛な議論に終始するだけでしょう。
英語教育の内容を高度化するというのは、実はそれほど難しいことではありません。
しかし生徒・学生がその教育に堪えうる資質を持つためには、英語力以前に「論理的に物事を考える」というトレーニングが必要になるのです。
人の意見を聞き、自分の意見を述べ、意見交換の過程で建設的な結論に至るために、そうした下地は必須です。
こうした下地が生きてこそ、英語力も光を放つものになるでしょう。